アルファベットと猫
いろんな言葉を作るアルファベット。
聡明な励まし、屈託のない賛同、忌憚のない評価、重量感のある文章を構成する単語をさらに作る文字。
文字が好きだしカッコイイ書体も好きだが、言いたいことはあまりない。詩や虚構の話の方が親しく今を感じるくらいだ。
もう、メッセージ多すぎるよ現代。
ダイレクトメール、ニュース記事も、観測しきれないくらいある。
プラットホームが変わればまた別の話題がある。スクロールした先にも、再生ボタンを押した先にも。せっかく一人になっても、リアルなメッセージが受け取れてしまうよ。
そしてその膨大なメッセージの奥にたくさんの思惑がある。
こんな人に受け取ってもらえたらな、というものから、
これが起爆剤になったらうまいな、というもの
これでわかったか?というようなもの。
埋もれていかないでほしい、残したいと思っているのだろうと思いたい。
埋もれてしまうよ??と感じさせる現代的な機能が加速させてるなんて思いたくない。
受け取らなければいい、ただそれだけのことなんだけど。いや毎度ながら多いな?!って毎週驚いているよ。通勤ラッシュみたときの気持ちに近い。
アルファベットを描きながら「私は何の単語も作らないぞ」みたいな気持ちでいたよ。
何の意味も持たず、猫にからまれているだけ。
意義とか理由がなく、ただ猫に踏んづけられてる。
いろんな毛並みがいていろんなサイズがいて。
意味はあるのか、一日中寝ているつもりかと問いただす奴にはそうさせたらいい。
猫はみんなめちゃくちゃにするけどね。
そんな景色。