木の葉とネコ
秋が好き。
季節の変わり目に「夏の終わり」だとか「春の訪れ」とかいうが、秋はどこかに行ったり終わったりする感じはしない。明確な出会いも別れもなく、いつのまにかいて、いつのまにか深まって、いつの間にか去っていく。
気安くていい。秋って猫みたい。ほどよい。
秋になると木が葉っぱを落とすように、私も無性に手放すことに前向きになれて、この時期はモノをよく手放す。
髪を切ったし、服を処分した、靴を処分もした。押入れの中の整理も楽しい。回復しなかった鉢植えも手放したし剪定もザクザクやった。
この時期手放したものはスッパリ忘れられるし、「英断だった!」と思えるくらい後腐れがない。手放したぶん空きがでて、空いたぶん新しい趣味や遊びに手をつけてみたりする。ある日ポコッと生えるキノコみたいに好奇心がポコポコ湧く。
秋が好き。
白子の寿司とネコ
もう9月ですね。いつだって寿司はうまい。
白子。20代後半になったあたりから「食べてみようかな」と手が伸び「あ、うまいなこれ」と思うようになった。
すごく美味しいよねこれ。なんて言ったらいいかわからない旨味。
筆舌に尽くしがたい良さ。
うにとか、イカスミとか、海産物のもつ筆舌に尽くしがたい良さってたまらないよね。
肉とは明らかに違うなんかこう得体の知れない良さ。
毎回「今回はなんか表現できる気がする」って思いながら口にして「うーんコレなんだよなぁ」で完結しちゃう。
物事はありとあらゆる言葉で表現できるけど、筆舌に尽くしがたい良さってのもあるものなのだ。
猫の後頭部とか、足とお腹の付け根あたりとか。
「なんとも筆舌に尽くしがたい、ただ…イイ!」ってものってシンプルなんだけどややこしくて、癖になってしまう。
P.S.
noteにお仕事のことも書きました。↓ ↓ ↓
甘えん坊とネコ
実家のネコ「コマチ」と娘の日々。
コマチも娘も甘えん坊。
夏の間帰省したが、休む間も無く「魔の3歳児」との攻防で家族みんな心理戦と持久戦でヘトヘト、少しずつ「大人がアカンと言ってるときは、まぁ受け入れるか」と、成長していき横浜に帰る頃はだいぶ聞き分けがよくなった。
毎日の家族会議と連携プレーの繰り返しが伝わったようで本当に嬉しい。
ホントにもう付き合いきれんよ!ってくらい理不尽鬼っ子モードでしたが、来たるべき成長の過渡期だったんでしょう…そう思わないとやってられない。
そしてコマチ。
17歳のシニアながらも、ナデナデ大好き番長な猫。
イビキが、おじさんのそれな猫。
プールや水たまりが好きな猫。
ご飯を食べるのが下手で、足が遅いしのんびりしている猫。
地震でも寝てる猫。
3歳児からしょっちゅう絡まれていた。
「コマチ、1回くらい本気でやり返していいんだよ!」って話しかけたくらい、絡まれていた。
それなのに、大して逃げるでもなく3歳児がプラプラするのに付いて回ったりオモチャで遊んだりしていた。娘の足の裏あたりで自分から横になってみて案の定ポスポス蹴られてたり、何考えてんのかわからない行動もあった。
そんなコマチもさすがに「もう帰ってくんないかなー」と思ってるだろうなー、コマチおつかれさま!と思いながら私達が実家から帰った日…家中に大の粗相!ドカ食い!鳴きまくり!だったらしい。
これは、よく旅行などでお世話になるペットシッターさんいわく「みんな居なくなるとすごく淋しくて、拗ねちゃうんでしょうね」と言われたことがあった。おそらく今回も…拗ねちゃったのだろう。
コマチの寂しん坊パワーが凄い。
毎日3歳児にアンパンチされそうになったり、昼寝をジャマされたり散々つきまとわれたりしてたのに…その鬱陶しさの方が寂しさより良かったんだ…
産みの母も祖父母もうんざりするくらい魔の3歳児のいる数週間だったのに…
どんなメンタルしてんのよ…としみじみ。強いんだか弱いんだかわからないメンタルの、17歳コマチ。
そんな、甘えん坊のいろんな姿を見た夏だった。