〇〇とネコ

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針供養とネコ

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「昔の生活や行事を知るのは本当に面白いな」としみじみ思うようになった、子供の頃は歴史や風土史に触れても身近に感じにくかった。

そんな私でも10代の頃から気になっている行事、それが針供養。

 

明日は東日本は針供養。

残念ながら、この行事に参加したことはないし、これからも参加することはないかもしれないと思う。しかし…昔からずーっと気になっている行事、針供養。

そもそも私は、供養するほど針を酷使してない。日常で針を使うのは、ボタン付け直しや娘の名前付けくらいだから、我が家の針はみんなピンピン現役。

 

昔はきっとどの家でも針は毎日何かを繕っていただろうし、布は今では信じられないくらい硬い手触りで耐久性もなかったはずだから、針は毎日、人の生活の中で功労していただろうし、貴重品だったんだろうなと思う。

だから針供養ができたのだろうと思う。

 

それにしても、それにしても!

針供養!

やわらかい豆腐や蒟蒻に、折れて曲がってした針をプスリプスリ刺して納める…律儀さが醸し出す独特の趣き。

 

こう想像する。針供養の成り立ち。

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「針、ご苦労だったね、こんなに折れ曲がって…ただ捨てるのもねぇ、捨てにくいよねぇ」

「せめて最期は何かイイ思いさせてやりたいねぇ」

「柔らかいものに刺してあげたら、さぞ針も安らかな気持ちになるだろうねぇ」

「疲れがとれるだろうし、私たちも針仕事に身が入りそうだねぇ」

 

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ってやりとりが、針供養の始まりにはあったんかな?!って思うともう…愛おしいつうかなんつうか。針によほどの親しみをもって至った境地でこそ湧く発想、そのカタチ、針供養…素晴らしい…おだやかに淡々とした狂気も感じるその趣きが、なんともイイ。

 

毎年節分が終わると「あー、そろそろ針供養だな」と思い、針供養の起源にいた人のやりとりや発想の流れを想像してちょっと温い気持ちになる。