家族と猫
ここ1ヶ月、ずっと心が波瀾万丈だった。いろんなことが起きた。
ともだちに赤ちゃんが生まれた。
5月に生まれると、直接打ち明けてもらったのは去年の大晦日だった。
私は出産自体に夢や希望や生き甲斐を託す方ではないし、育児は大変だし、自分の環境についてまだまだ思うこともいっぱいで「子供は良いぞぉー」と人に言えるようなファイトもない。
そんな私でも、泣いた。嬉しくて泣いた。
心配だった。確実に人類史に載るようなご時世だから、とっくに万全を期しているってわかってでも心配だった。とにかく絶対大丈夫って思い込み続けた。
ともだちの頑張りのおかげで、無事に生まれてきた。
そして生まれた頃、夫のお母さんが亡くなった。
「お義母さん」だなんて思ってなかったくらい親しみを持って握手して話したりしていた。お花見にいって公園で一緒になって半球ボールの遊具でぴょんぴょん跳ねたりした。会うと嬉しかった。
体が強くはない人だったから思い出の場所はあまりない。
また会いに行こう、と思うとき絶対大丈夫って思い込み続けた。
亡くなった時のお顔は、とても穏やかだった。
家族像は人の数だけ色々あるし、血の繋がりや生い立ちばっかりが根っこではないと思う。離れることでしか互いのためにならないこともあると思う。
あれこれ言ってなんになるっていうんだろう、任せるしかない、に尽きることの方が多い。
でも「絶対大丈夫って思い込むこと」が、家族なんだなと思っている。
そのために根拠なんか、一体なんになるんだろう。
絶対に大丈夫なんだ、と思い込むことが大切だ。どんなに波瀾万丈でも。