フキノトウと猫
野草とか木の新芽とか、無事に淡々と春をこなすものがめちゃくちゃ愛おしく沁みる。
ふきのとう。意外とみっしりした茎、独特の手触りのフキノトウ。淡い。
地主さんが税金対策でやってる素朴な畑の傍に、ふきのとうが生えていた。
散歩の度にちらっと見ていたフキノトウ、日毎にどんどん伸びていってた。
いかにも頑固そうにグイーンと伸びきっていて花もバーンと開ききっていて、それでいて淡くて、微笑ましかった。
真面目な性分の人が、年を重ねていくことで真面目さが可笑しみに変わってくことがあるけど、そういう一面がフキノトウにはある。
淡く地味な中に、独特の大胆さが生まれるもの。すごく良い。双極の要素が一緒にあるとおかしみや可愛さを産む、というのか。凹と凸、甘さと塩っけのループみたいな。
もうすぐ春分。
毎年春は抱負というか「新年度は・・・こうだ!!」みたいな高めのハードルを掲げ自分なりに燃えようとするけど、今年は燃えたくない。新たに着火するより手持ちの火を大事にしたい。
薪をポツポツ集めながら火を絶やさないようにして日々を過ごしています。子供が生まれてから数年、やっと幼稚園だーと思ったら例のコロなんたらだもの。
諸々が平置き、現状維持と経過観察が基本タスクです。
やたらめったら燃えないで、ぽつぽつ、フキノトウみたいな日々。