レジ袋とネコ
あ、猫だ!
と、思って近づいたらレジ袋だった、見間違えた…
という笑い話をみたことがあるだろう。
フィクションでは日常系の漫画やアニメ、活字ではエッセイなどで、見間違えをした人物の人間性をより照らすようなシーンを構成したりする。
(普段硬派なのに見間違えたことをアワアワしながら取り繕ったりして視聴者や読者に「こんな一面があるんだ」と感じさせるようなホンワカしたシーン)
ツィッターでも見たことがあるし、探せばそういうツィートは毎日あるだろうなと思う。
私はこの見間違いネタを見るたびに「むしろネコっぽいレジ袋…見たい!」と思うのだ。
バッチリ視認できちゃう完全な野良レジ袋はよく見るが
ネコ?!と思えるような、うまい具合のレジ袋に遭遇したことない。
そもそもレジ袋有料化が進んでレジ袋がフワフワ街中にあること自体少ないかもしれない。ゴミが減るのは勿論いいことなんだけどね。
そう思いながら今回サラ〜と描いてみたが、これは難しい。狙いすぎてもしょうがないからって、しっかりレジ袋になっちゃうね。
レジ袋を実際にフワリと置いたとしても難しいだろうから、むしろ「猫に見間違えるレジ袋セッティング選手権」したら面白いんじゃないか?と思った。
うわー、これ完全に猫じゃん!これは狙いすぎだわー、とか言いながら品評したりするコーナー。
なんとなくチョコプラの2人にやってほしい。長田さんは絶対セッティング上手そうだもの。
アルファベットと猫
いろんな言葉を作るアルファベット。
聡明な励まし、屈託のない賛同、忌憚のない評価、重量感のある文章を構成する単語をさらに作る文字。
文字が好きだしカッコイイ書体も好きだが、言いたいことはあまりない。詩や虚構の話の方が親しく今を感じるくらいだ。
もう、メッセージ多すぎるよ現代。
ダイレクトメール、ニュース記事も、観測しきれないくらいある。
プラットホームが変わればまた別の話題がある。スクロールした先にも、再生ボタンを押した先にも。せっかく一人になっても、リアルなメッセージが受け取れてしまうよ。
そしてその膨大なメッセージの奥にたくさんの思惑がある。
こんな人に受け取ってもらえたらな、というものから、
これが起爆剤になったらうまいな、というもの
これでわかったか?というようなもの。
埋もれていかないでほしい、残したいと思っているのだろうと思いたい。
埋もれてしまうよ??と感じさせる現代的な機能が加速させてるなんて思いたくない。
受け取らなければいい、ただそれだけのことなんだけど。いや毎度ながら多いな?!って毎週驚いているよ。通勤ラッシュみたときの気持ちに近い。
アルファベットを描きながら「私は何の単語も作らないぞ」みたいな気持ちでいたよ。
何の意味も持たず、猫にからまれているだけ。
意義とか理由がなく、ただ猫に踏んづけられてる。
いろんな毛並みがいていろんなサイズがいて。
意味はあるのか、一日中寝ているつもりかと問いただす奴にはそうさせたらいい。
猫はみんなめちゃくちゃにするけどね。
そんな景色。