〇〇とネコ

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椿と猫

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椿は栄養を受けた葉が年越し、花は潔く短く節目を数えているのが感じられて面白い。

今日の猫は、大きく歳とった猫。少し前にこんな光景を見たことがある。

フンフンと椿を嗅いでいて、私は「年をとった猫も、咲いた椿に好奇心が湧くんだな。」と思った。地域猫にとっては植物の移り変わりは常だし、衣食住に深く関わらないもの、花には興味がないのかと思っていたから、椿をフンフンと嗅ぐ猫の様子にしみじみした。

 

何年も生きてみると、暮らしに慣れるかと思ったら、昔より沁みるようになったことに驚くことがある。

昔は苦手だったおせちや正月飾りの存在感が、今はしみじみ沁みる。

 

 

こけしと猫

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昔ながらのお土産。昔ながらの民芸品。好き。気になる存在。

マトリョーシカを作ったり、ヤダ的民藝をコツコツ作ったりしていますが、いまだになんだかわからない。なんでか妙に気になるし、良さを筆舌にしがたい。

北海道の木彫り熊とか、タペストリーとか、浅草のちょうちんとか。

願掛けやご利益がしっかりしたものもフムフムと興味が湧くが、由緒や起源が「諸説ありますからあんまり気にしないでくださいね」なものがもうなんかもう…イイ。

 

土地の人が長い時間かけて定着していったモノのもつ良さが、大人になって少しわかってきた。

昔は、その独特の存在感に引いて、こわごわ見ていた。どの民芸品も、家の1番落ち着いた場所にいつも置いてあったからかも。

こけしは、なんか座り方まで叱られそうで怖いなくらいに思ってた。今は「もし東北に出かけたら買いたいかもな」と思うくらいにしみじみ歩みよっている。

 

 

 

 

猫とネズミ

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来年は子年。我が家は喪中。

街中は年末年始の雰囲気でソワソワし始めて楽しい。

 

ネズミといえば、中目黒の川沿いでよく見る。

道端に大きな葉のアイビーが植えられていて、その葉の下をうまいこと身を隠し駆け抜け走るネズミを、中目黒川沿い歩くたびに見てる気がする。下ばっか見過ぎなのか?

最初は「ネズミ!」とハラハラしたが、近頃は「あー、そうだった、よくいるんだよな」と思うくらいに慣れた。

 

子供のころ、いなかのネズミと都会のネズミが好きでよく読んでいた。

この話は古い童話なだけあって世界のいろんな出版社が本にしていて、見比べるとお国柄や時代を感じて面白い。

 

イギリスで出版された田舎のネズミはカヤネズミで、風景に古城や牧場があり、都会のネズミが食べてる食べ残しがいかにも上流階級のオードブルだったり。

アメリカの本は都会のネズミが強気でマッチョだったり。物語の〆も結構ニュアンスが違っていて面白い。

 

 

みかんとキンカンとデコポンとオレンジとレモンとネコ

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みかんが、うんまい季節になってきた。

沁みるうまさ。

 

「おいしい!」にはいろんな種類がある。

 

ガツン!と効くおいしさ。

初めて食べる不思議なおいしさ。

懐かしい気持ちになるおいしさ。

毎日食べたい、おいしさ。

たまに食べるくらいでイイな、っておいしさ。

 

みかんなどの旬のものには「そうそう、この時期はこういう味がほしくなるんだよな」というおいしさがある。

いつだったか食べたものを思い出したりして感傷に沁みるおいしさ。

 

年相応に変化を感じたりして。

昔はみかん1つ剥くのに時間がかかっていましたし白い皮も丁寧にとってましたが、、今はパッパと剥くし白い皮もスジも気にせずバクバク食べ「なんでも平気」になったものだな、と考えながら今日も食後に食べた。

 

猫がいたころは、みかんを剥いたあとの指を猫が嗅いで「うわキライこの匂い!」って顔されてた。懐かしい。

ぶどうと猫

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猫の混ざったぶどう、甘かったりすっぱかったりしそう。

集合体とかギッシリしたものが好きなので葡萄は楽しい。味はもちろんなんだけど植物としての実り方とかそういう面も興味がある。

普段皿に乗って食卓のイメージがあるものが、皿に乗るまでどういう状態だったかネットで検索するのが好き。木になっててどんな風にぶら下ってるか、調べると意外と想像や普段の親しみからかけ離れた姿で楽しい。

 

今まで1番意外だったのがカシューナッツ芽キャベツと蓮根。

 

カシューナッツはもう嘘みたいな姿っていうか「魔女の鼻からカシューナッツがずるんと出た状態みたい!」と思った。

なんだよそれ、って思った方は「カシューナッツ  木 実り方」とでも検索してみてほしい。

 

芽キャベツはなんかもう執念のようなものを感じるし、

蓮根は「収穫めちゃくちゃ大変だ…この黒い水の中に…生えてんですか!?」と、脳が揺れる。

 

楽しい。

 

 

おふとんと猫

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猫のつくる、布団の砂丘が好き。

自分は目が悪くてメガネを貫いているせいで、実家にいたころから「起きたらそばで猫が寝てる」をクリアな視界で見たことがない。

あ、いるなと思ったら急いでメガネをかけて、この砂丘を見てた。

 

裸眼で露天風呂の景色を楽しめないとか

冬に屋外から屋内に入るとメガネ白くなって困るとか

そういうシーンになるたび、本来視力がいいって素晴らしいなと思う。ささやかな景色がささやかなまま手にとれるって素晴らしい。

 

風邪をひくと、ただ普通に過ごしてた日々が素晴らしく感じるように、

ささやかなものがささやかなままなのはきっと素晴らしいだろうなと思う。

 

 

そう思いながら、メガネと付き合って二十数年も経ってしまったけど。

 

 

魔女帽子とネコ

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ハロウィンでお馴染みの魔女。

ファンタジーの世界の中でも魔女って特別好きだ。魔女ってくくりにするのは違うかもしれないが、バーバヤーガっていうスラブ民話の魔女?が好き。日本の山姥に近くて、災厄を起こすこともあり、気まぐれに話を聞いてくれたりもする。

 

勧善懲悪でなく気まぐれに場当たり的な気性の魔女の話は個性が強くていろんなイメージが膨らんで面白い。

 

魔女の大釜とか魔女のほうきとか、魔女のアイテムってなんかもうイメージをいろいろかき立てられていい。

 

魔女のほうきにピッタリなほうきについて、小学生のころ真剣に考えたことがある。

「ほうきって跨ぐと座り心地よくないし、横座りでもイマイチ快適じゃない、これで空飛ぶとか拷問みたいな苦痛あるなー」とか「日本のほうきは竹だからキツイだけで、海外のやつなら飛びやすいのかな?」と考えたりしていた。

最終的に「現代の魔女は、ほうきはステッキ的に携帯する程度で、移動手段は魔法で瞬間移動だろうな」とむりやり落ち着いた。

 

魔女にいらん世話を焼いていた私は、今では子供にハロウィン焼きドーナツしたり、記念フォトで魔女になったりしているわけで。

 

魔女じみて明るく、したたかに歳をとっていきたい。